2017年10月16日月曜日

あとがき。

「ある軍人伝の試み」のあとがき、4分の3ぐらいは書けたと思う、あと2日ぐらいで終えられるはず……このあとがき、じぶんでも意外な終わり方を発見して、いま、ひとりにんまりしているなどはややブキミかもしれませんがともあれ、あとがきを書きおえたら、そのあと2,3日寝かせてから、本文の最終閲読をおこなうべく……いっぽう、表紙作成の腹案を練らねばな、と……。
きょうは午前、あざみ野の図書館へ本を受けとりにいき、そのついでに期日前投票をやってくるつもりだ。

2017年10月12日木曜日

「origin」

おとといの夜にれいの不眠発作に苦しんだがため、ゆうべは20時ジャストに就眠して、しっかり8時間睡眠を完遂した……めでたし。
きのうから「あとがき」を書きはじめた、4日か5日はかかるだろう、うまく書けるはず……。
きのうの昼、有隣堂の洋書売り場にいったら、なんと、dan brownの新作「origin」が売られていた、ハードカバーで4000円弱、年金生活者にはとても手がでないし重いしするので、kindle版を1200円で購入、ダウンロードした……こんどの舞台はスペインのカタロニアで、テーマは宗教であるらしい、ゆうべ、4パーセントまで読んだ。1章にはいってすぐlangdon教授が登場した……。

2017年10月10日火曜日

童児軍。

さくや、寝しなに、ipadminiでfacebookをブラウズしていたら、安倍さんの演説を妨害する人たちが子どもを動員しているぞ、とする記事を発見した、以下がそれだ……
https://www.facebook.com/ld.blogos/posts/2104440179582077
……で馬齢堂、すぐに到一さんの書いた本に似たような話があったのを思いだした、昭和2年9月に高山謙介名義で書いた「武漢乎南京乎」の<漢口英租界の占領>の章のなかで、到一さんは以下のように書いているのだ……民国16(昭和2)年に、<魔神ボローヂンと、烏天狗鄧演達とを中心とする共産党は、漢口に於ける排英の血祭りとして、暴民団を操縦して英租界を奪還>しているのだが、そのさい、<苦力(クーリー)の大集団は、「打倒英帝国主義」の呪文を唱えて、最前線に殺到し、夫等(それら)の苦力の子より成る童児軍さえも、先頭に立って、石を投げた>と書いている。上に引用した文のうち、ボローヂンとは当時ソ連から招かれた国民党顧問のこと。そして鄧演達とは新進の共産党員で国民革命軍政治主任の職にあった男のことだ、この2人の指導によって組織された暴民の大集団は“童児”を前面に押したてて大英帝国の租界になだれ込み、それを暴力的に奪還した、と書いている。とにもかくにも、このテの人たちにとって、国際条約もへったくれもないのである。
ようするに、ヒダリ系の人たちの、子どもを“煽動”し、前面に押しだして、アベヤメロ、と大声で言わせる非道で暴力的なやり口は今も昔も変わらないということと同時に、日本人の中国人化現象が急速に進行しているな、ということだろう。

「ある軍人伝の試み」は、締め切りを2ヶ月延ばしたがために、気がゆるんでしまったらしく、<あとがき>はまだ書いていない、きょうあたりからぼちぼちと書きはじめるつもりだ、体調はかるい腰痛だけで、あとは異常なしだ、めでたし。

2017年10月5日木曜日

勇戦敢闘。

寒い、ので、ことしはじめて薄手のセーターを着た、寒いのは苦手だ。ゆうべはしっかり寝た、ものの、ひさしぶりに少量の誘導剤に依存したのはやや残念なれど、ま、しかたないかな、と……。
「試み」のあとがき、まだ書きはじめていない、ものの、書くことは決めてあるので、それほど心配はしていない。それにきのう、脱稿期限を2ヶ月ほどのばして、らいねんの1月に完成、と予定・計画を変更した。なにもそんなに急がずとも、ということで……。
やはりきのう、「註文の婿」がらみで、某放送局から音声取材の申込みがカナブンの野見山陽子さん経由であったのだが、いつものごとくに馬齢堂、辞退させていただいた。弾丸雨飛の最前線にあって、某放送からの<猛攻>を防いでくださった野見山さんの<奮戦敢闘>に感謝です、申し訳ありませんでした。

2017年10月4日水曜日

酔っぱらった感。

さいきんの馬齢堂、睡眠誘導剤に依存しない<夜>をこころがけているため、ひとたび、ネそびれると悲惨な状態に陥ってしまって、さくやも眠れずに七転八倒するありさまで……が大丈夫だ、がんばるぞ、とわが身に叱咤激励している。
「ある軍人伝の試み」、きょうより、<あとがき>にとりかかる、短くまとめるつもりだが、4,5日はかかるだろう。そして本文だが、水上勉さんを真似て言うとすれば、だいぶシメた、と思う、ものの、自信はない。
しばらくまえに、書きかけの「試み」の冒頭部分を遊びにきた息に読ませたところ、過激な個所(単語? 表現?)に悲鳴をあげていたので、そういったところを削除・修正し、緩和する方向で調整しているのだが、内容が内容なので、その作業にも限度があって、ですな、困惑しているところだなもし。
したがって、この「試み」はやや特殊なジャンルの内容にならざるを得ず……ゆえに、kindle経由で公開はするものの、親類縁者・知人旧友には配布しない選択肢もあるかな、となれば、じゃっかん、自由な書きっぷりも許されるかな、など考えている。――以上、寝不足ゆえに酔っぱらった感のある文章になりにけりだ、許せ。

2017年10月2日月曜日

カナブンの館報。

きのう、カナブンの野見山陽子さんから、9月30日が初日だった<没後50年 山本周五郎展>の図録、館報と共同通信が配信した記事を掲載した地方紙多数を送っていただいた、いつもながらの気くばり、心くばりに感謝、感謝です。
ところで、同封されてあった「館報」第138号の<展覧会場から>に、展示課の斎藤泰子さんが書いておられる記事がおもしろかった、馬齢堂がどうおもしろがったのか、なぜおもしろかったか、については同館を訪れて「館報」を入手され、斎藤さんのコラムをお読みになればよろしいのかな、と……。

2017年10月1日日曜日

S社のS君。

きのうが、神奈川近代文学館の<山本周五郎展>の初日だった、せいだろうか、馬齢堂の身のまわりにただよう山本さんの「霊」と「気」が強烈で、ゆうべは2時間ぐらいしか眠れていない、けど、大丈夫だ。
その<周五郎展>ついでに1つ、思いだしたことがあって……馬齢堂が担当になった昭和32年の暮れに、山本さんは朝日新聞(PR版だったと思う)に「六月おおみそか説」と題したエッセーを書いておられる。大晦日が12月の寒い季節ではなく暖かな明るい6月の末であったなら、暮らしに困窮して苦しみ悩む人たちの生活がずいぶんと違ったものになるはず、といった内容のもので……この<大晦日が6月にあったらいいな説>は<S社のS君>が思いつきで言ったことで……つぎに山本さんの許を訪れたとき、<S君>はそれを言ったことを完全に忘れていた。それはひとえに、S君が<S社という大出版社の社員であり親がかりであり、失恋だけが心のいたでだという年齢>だったからだ、というのがこのエッセーの結びとなっていて……。
しかし、馬齢堂は山本さんに、そんな思いつきを話してはいないのである。どちらかというと生来、お金のことには無頓着な馬齢堂、困窮する人たちにとって、温暖な6月末が支払いの締めであれば、寒気の厳しい12月末よりなにかとマシなのではないか、などという発想・思いつきの浮かぶはずはないのであって……がしかし、山本さんは他社の編集者が思いつきでいった<6月おおみそか説>を<S君>の言ったこととカンチガイをなさったわけで……年があらたまって山本さんの仕事場へ挨拶にうかがったとき、この<カンチガイ問題>について、馬齢堂が山本さんになにをどう言ったのかはまったく憶えていない、往事茫茫だ。