2017年8月20日日曜日

続々・馬齢堂国語辞典。

めったにテレビを見ることのなくなった馬齢堂、先月の末の午後に見るともなしに見ていたNHKの番組で、20代はじめの女子アナウンサーが、だれが見ても人生の大先輩である中年の男性ゲストにたいして、<スタジオの中央に出てなになにをしてもらいましょう>とあっけらかんと、偉そうに言っているシーンを見て馬齢堂、のけぞってしまった。目上の、それもかなり年上のゲストにむかって、なになにしてもらいましょう、はないだろ、おいこらっ! というしだいで、「広辞苑」第4版の<もらう【貰う】>を参照した。太字の部分は「馬齢堂国語辞典」で補足したもの……いまどきの国語辞典はここまで書かなければいけないのは、ほんとうに、痛恨の極みである。
① 贈り物を受ける。/ ② 人に請うて自分の物とする。/ ③ 他人から食事の世話を受ける。(中略)⑧  (動詞連用形に助詞「て(で)」のついたものに続け) 他人の動作によって自分が恩恵、利益を受ける意を表す。また、自分のための行為・動作を他人に依頼し、させる意を表す。ただし、なになにしてもらう、という表現は目上の人に使うのは失礼にあたる、は日本人の常識である

2017年8月19日土曜日

続・馬齢堂国語辞典。

たとえば、レストランにはいって、〇〇〇〇と×××を注文したとする、と、係りのうつくしい女子が、おうむがえしににこやかに、<〇〇〇〇と×××で大丈夫ですね>と聞いてくるこの<大丈夫>が馬齢堂、気になってしようがないのである。もっと別な確かめようがあるだろうに、と思うのだ、ようするに、上記のような流れでいくと、お客さまは〇〇〇〇と×××を注文なさいましたが、もしあたし(係りの女子)があなたのご注文を聞き損なっても大丈夫ですよね、お怒りになりませんよね、と念を押されているような気になるのである。くだんの女子にはもちろん、そんな意思はないのだろうけど……そこで、れいによって、「明鏡国語辞典」の<大丈夫>の語釈の1部にくわえて、いちばん最後の④が馬齢堂の新語釈だ……
① 丈夫でしっかりしているさま。/ ② 危なげがなく安心できるさま。保証できるさま。確か。/(中略) / ④ 飲食店等で客と店のスタッフがやりとりをするあいだに、後者が自身の身の安全を前者に求めること、あるいは、後者が前者に危害をくわえられない安全な状態にあること。

2017年8月18日金曜日

馬齢堂国語辞典。

馬齢堂、言葉には敏感な男である、ゆえに、せんだって、息夫妻が遊びにきたときに聞いた<片付ける>という言葉には新鮮な驚きがあった、おもしろかった。ゆえに、<片付ける>に新たな<意味>をくわえることを提案したい。
以下、③までは愛用する「明鏡国語辞典」にある<片付ける>の語意の1部であり、最後の⑥は馬齢堂提案になる語意・解釈だ……
① 散らかっている場所をきれいに整える。また、散らかっている物やじゃまな物を取り除いて、納まるべき所にきちんと納める。整理整頓する。/ ②(ある仕方で)物事をきちんと解決したり済ませたりする。/ ③娘を嫁に行かせる。嫁がせる。/ ④、⑤は省略 / ⑥ 父母を看取って、そのあと葬式を出す

「ある軍人伝の試み」、南京での死者の数には言及しないと決めた、死者30万人説が政治的プロパガンダであることを強調するにとどめることにした、あしたくらいから書きはじめるつもりだ。

2017年8月15日火曜日

お三方。

小雨だ、そして涼しい……このところ、朝、両手がこわばるんだな、ま、気にしないようにしているが、なにせ、こわばるんだな、こまったことだ。
「試み」の最終章、きのうから書きだした、いそがずに、8月末までかけて仕上げるつもりだ。それに関連して、けさ1時半ごろ、うつらうつらと「試み」のあれこれを考えるうち、1案が浮かんだので忘れぬうちにと、隣の書斎からdigital paperをもってきてメモにしたるはいとおもしろかりけり……しばらくは、こんな日がつづくことだろう。
閑話休題……馬齢堂が某社に勤務したあいだに、<先生>と呼んだ作家は3人だけだった。その3人とは、丹羽文雄さん、舟橋聖一さん、山本周五郎さんで、あとの方はサワノさん、タチハラさん、ヨシムラさん、トキワさんなどなどであった。なぜそうなったか、にはさしたる理由はなく、はたまた、呼び方によって、仕事のやり方を変えたのでもないし、そんな失礼なことをするはずもないし、余裕もなかった。ただ、丹羽さん、舟橋さん、山本さんのお三方が<先生>だったのは、やはり、馬齢堂の編集者になりたてのころに出会った小説家だった、というのが大きかったのだと思う。そして、このお三方がお元気だったころは面白かったな、馬齢堂も若かったな、つきなみなれど、往事茫茫だな、と……。

2017年8月14日月曜日

好奇心。

馬齢堂の内的景色をそっくり転写したごとくに、けさも雨だ、うっとおしい。
さくやは7時半に就眠、以後、4時までぐっすりの快眠だった、ゆえに、完全に回復した、リズムをとりもどした、めでたし。
ほんじつより、「試み」最終章を書きはじめる、山本周五郎さんの口まねをするのではないが、いよいよの時がまいりましたぞ(樅ノ木は残ったの原田甲斐のセリフだった?)、ということでがんばるべく……。
ゆうべから「kafka on the shore」を読みはじめている、予備知識・先入見なしで読んでいる、えっ、いまさら、などのたもうなかれ、人生の要件の1つは好奇心なるがゆえに……。

2017年8月13日日曜日

Mさん。

定刻起床はいつものごとし。血圧、上が150で、やや高かった、気をつけねば、と……。
きのうは夕刻に、息夫妻が遊びにきた、ふたりとも元気そうだった、よかった。
「試み」、きょうはまだ書かずに、あしたからとりかかるべく……しょせん、高望みはいかんな、実力以上の仕事はできないものと割りきらねばあかんな、と……。

追伸=息へ。
S社のMさんのこと、もし、池袋の酒場で会うようなことがあったら、くれぐれもよろしく、と伝えてください、年はとったもののワリカシ元気で、S社に在籍したころをとても懐かしがっている、など伝えてください。そして、残時間を気にしていること、Mさんへ返信しないのも、なにやらとり組んでいる仕事があるためで他意はない、など釈明していただけるととてもうれしいです。

2017年8月12日土曜日

お迎えぼくろ。

涼しい、寒いくらいだ、秋ちかしだ、さみし……ゆえに、じゃっかんの風邪ぎみ。
「ある軍人伝の試み」、さっき、やっとこさ、どう終えるべきか、終曲はどんなメロディーになるか、の道筋を決めた、これがうまくいけば、まがりなりにも、<作品>の体裁らしくなるだろう、そして考えただけのことはあったぞよ、ということだ、めでたし。もっか、どこかにしまったある資料を探しているところで、それが見つかったら書きはじめる所存にて……。
エスカレーターを利用するさいに、10人ちゅう9人の通行人が踏み段の左側に立って上階へ運んでもらっている<時代の趨勢>なれど、馬齢堂は原則、右側を歩いて昇ることにしている。これ、老化との不断の戦いにはあらない、根がせっかちなせいです、が結果的に、足の弱りを防ぐ一助にはなっているらしく……。
亡父が晩年、<人間、顔にお迎えぼくろが出るようになったらじきに死ぬよ>と言っていたのを、ふいに思いだした馬齢堂、けさ、洗面しながら仔細に点検してみたが、さいわいにして、それらしきものは出現していなかった、めでたし。ちなみに、亡父は最後まできれいな顔をしていたものだ、ようするに、お迎えぼくろ(老人性色素斑)の有無と死期との因果関係はあらない、それがあってもなくても、人間、死ぬときは死ぬ、ということなり。